よこで見守る子育て

二児(小4、小6)の母です。どんぐり倶楽部を指針とする子育てで、こどものペースを大切にしています。

よく働く若者。

今の勤務先は、ITベンチャー。 みんな若い。

その中でも最近部長になった社員は25歳男性で、世間の部長世代に比べるとほんと若い。

よく働くし、仕事はできるし、目線も40歳くらいな印象。

彼がいつから働いているかというと、高校3年生の時。彼が趣味で作ったサイトをみて、ある会社から声がかかり、2万くらいで仕事を受けたのが始まりらしい。

高校卒業したらフリーで働くつもりだったけど、親から「専門学校くらいは行ったら」と言われて通ったものの、授業中はずっとパソコン開いて仕事をしていた。それでも情報システムの学校だったから、成績は優秀。

そんな話を聞くと、ますます大学に行く価値が低くなる。いや、ちがう。親が引いたレールの先にある大学の価値、だ。

私「子どもには好きなことさせとくのがいいのかなー」

彼「でも僕の妹、好きなことさせといたらニートになっちゃいましたよ」

私「えっ⁈」

子育ての正解はひとつではない。それぞれ違う。

 

 

子どもがケンカしたっていいじゃないか。

子どもが公園で毎日遊べば、ケンカもします。当たり前のこと。

そしたら学校から「もめ事が多くなるなら◯◯公園で遊ぶのを禁止します」とお達しがでたらしい。

長女「ありえないよね、それ」

私「そうね、なんじゃそりゃ」

子どもがケンカをするのは当たり前で、そのケンカから何を学び、どうやって仲直りするのかが大切で。

自分と違う考え、違う感じ方の他者を知る。それが子どもだとケンカにつながることも多いけど、それも大切な時期。

子どもの成長のためにも、ケンカの機会は奪いたくないなー。

…なんて考えの母親なので、娘もしっかり引き継いでいる。

もちろん嫌な思いをして帰ってくることもあります。

でも、友達と仲直りしたときの笑顔は、忘れられないほど可愛かった。

 

インフルにつき9連休明け

次女と私、先週インフルエンザAでまるまる休み。

9連休。そこまで休むと、学校も会社も行きたくなくなります。

2人で、いや長女も入れて3人で、「行きたいなーい!」とボヤきながら、登校・出勤準備。

私「これはもう、頑張って行ったご褒美を夜に食べるしかないな」

次女「ローストビーフがいい!」

長女「ステーキ!」

私「いや、おかずはもう決まっているから、デザートね。ママは昨日の夜、まんじゅうが食べたくてたまらなかった。」

次女「じゃあイチゴ大福!」

私「お、いいね。じゃあ帰りに和菓子買って帰るから、今日は頑張っていこー!」

そんな会話をしつつ、あたふたドタバタと準備して、みんな機嫌よく行きました。

道具だけは買ってあげます

「ママー!すごいの見たー!」

習いごとから帰るなり、夕暮れの景色の美しさについて興奮して話す。

そして、その景色をスケッチブックに描き始める。

絵の具になる色鉛筆で色をつけて、水でぼかして、手前の樹々を黒ペンで描いて。

夕飯をはさんで完成させた絵は、なかなか満足のいく絵になったらしい。

今日は次女も絵を描いていた。リンゴのデッサン。

2人の描く絵が、今までよりちょっと、いや、かなり、上達した。

図書館で借りてきた本のおかげ。

鉛筆デッサン、色鉛筆の使い方、風景画の描き方。

教室行かなくても、子ども達の興味次第でけっこう伸びる。

 

 

優等生の定義

長女は友達に、優等生と言われるそうです。

でも本人は、自分は優等生ではないと言います。

私「優等生ってどんな子なの?」

長女「ブレない自分を持っている人!」

私「じゃあ長女はブレるの?」

長女「うん、ブレブレ」

私「どんなことがブレるの?」

長女「長女はね、優先順位がブレるの。ブレてブレてグチャグチャ。もうね、やりたいことが終わらないの」

私は「それって計画性がないってこと?」

長女「そうだね。それだね。」

我が家は学校の宿題をしていません。先生了承のもと、していません。

もし友達に何か言われたとしても、長女は「それがウチの方針なのって言えるよ」と話していました。

先生には、もしその場面がきたとしたら、長女のその言葉には説得力があるはずとも言われています。

それだけで充分ブレない心を持つ子どもだと、私は思います。

その後、長女が「ブレないことの良い点」について色々話していましたが、

「自分のチャンスに自分で気づける!うん、それだ!」

と納得して終わりました。

なんというか、そのまっすぐな感じが、我が子ながらまぶしいです。

 

 

大人が子どもにいうダメは、けっこうダメではない気がする

女子って小さい先生になりがちです。

もちろん、うちの長女も。

先日も廊下を走る上級生を長女が注意して、そしたら上級生に「5年が6年を注意するのは、やめた方が良い」と言われたと、プンプンしながら話してました。

まぁ、長女は正しいことをしたわけで、それを咎められたらおもしろくはない。

でも私は、注意したり怒ったりしてその行動を止めるのは、全て正しいわけではないと思っていて。

そんな話を長女としてたら、納得いかない長女は泣いて…というか号泣して抗議してました。

長女「じゃあママは、廊下を走っている子をみたらどうするのっ⁈」

私「そうねー。あらあら、走っとるわー。って思うかなー」

長女「は?何それ。そんだけ?だって廊下は走っちゃいけないんだよ!」

私「でも子どもだし、長い廊下みたら走りたくなるときもあるでしょうよ」

長女「もうママとは話にならん!もういい!話したくない!」

会話終了。

その後しばらく泣き、お風呂に行きました。

ちょっと落ち着いたところで、再び会話。

私「これすると誰かに怒られるからやめとこーとか、先生が怖いからやめとこーとか。ママは、そんな理由でやめとこってのは違うと思うのよ。なぜダメなのか、本当にダメなのか、そんな考えを互いに話して、じゃあこうしよっかと決めたり、違う行動を認め合うってのが大切だと思うのよ。怖いからやめよって、それって恐怖による支配なわけじゃん。そんな関係楽しいかって、楽しいわけないじゃん。もちろん、大人が恐怖で子どもを支配するってのも、ママは嫌いなわけ。それは、長女も分かるでしょ?」

長女「まあねー、わかるよ、それは。」

私「だから注意するってのも一つだけど、それ以外の何かもあるかなーと。自分にとってはダメだけど、相手にとってはダメじゃないのか、じゃあどうしよっかとね、色々考えれるようになったら、それを今のうちにしとくと、長女ちゃんは最強になるわけよ。だから、ねばならない的な考えはさー、やめた方がいいと思うんだよねー」

とかなんとか、のんびりした口調で、お風呂あがりマッタリしている長女と会話。

さて、私のこの分かるような分からないような考えは伝わったんだろうか。